日野の里

 

親鸞聖人誕生の里・日野家の旧跡

 

法界寺〜日野誕生院〜畑出地蔵尊堂〜天穂日命(あまのほひのみこと)神社(石田神社)

 

聖人童形の像(発心の像)

誕生院の境内。突然、時雨れて虹が出ました。こういうのを後光というのでしょうか?

 

2003年最期に周った「古の道(いにしえのみち)」・・・源平ゆかりの里道散策で周れなかった法界寺、日野誕生院に行ってきました。日野界隈も宅地開発などが活発化していますが、まだまだ里の風情を残しています。途中、時雨に遭いましたが誕生院で虹を見る事ができました。偶然ですが、幻想的な誕生院を撮影できた事、新年から縁起良しと思っています。

法界寺(日野薬師)

承安3年(1173年)、浄土真宗の開祖・親鸞聖人は、日野の里で生まれました。父は、日野氏一族・皇太后宮大進日野有範(ありのり)卿、母は、清和源氏・八幡太郎義家の孫娘・吉光女(きっこうにょ)であった。当地は代々、藤原北家の一流である日野氏の所領でした。初代・藤原真夏は「ここは、仏法有緑の地である。」という老翁「萓尾の翁」のお告げにより光仁天皇より当地を賜ったと伝わります。7代の孫にあたる藤原資業(すけなり)が別荘を営み、自ら出家して法界寺を建立し日野氏と称するようになった。以来、法界寺には、阿弥陀堂を始め五大堂、三重塔、観音堂、地蔵堂などが次々造営され七堂伽藍に輝く威勢を誇ったが、比叡山を焼き討ちにした織田信長の兵火に焼かれ、往時を偲ばせる現存の建物は、阿弥陀堂のみとなりました。

法界寺山門

山門からの法界寺境内

池から境内の眺め

薬師堂(本堂)

阿弥陀堂

真言宗醍醐派に属する法界寺は、日野薬師とも言われ、一般に安産・授乳に霊験のあるお寺として知られています。弘仁13年(822年)、藤原家宗が薬師如来を祀ったのが始まりで、永承6年(1051年)、藤原氏一族、日野資業(ひのすけなり)が薬師堂を建立した寺院で「阿弥陀堂(国宝)」は兵火をかいくぐって残り、藤原時代の遺構として宇治・平等院鳳凰堂、大原三千院・往生極楽院や岩手県・中尊寺金色堂と並び貴重な平安時代の代表的な遺構とされる建物です。本尊の阿弥陀如来坐像も国宝に指定されています。僧によって元旦〜14日間、修正会と称して薬師堂で五穀豊穣、天下大平を祈願し結願の1月14日の夜、群参の内、精進潔斎した青少年、壮年の信徒が二組に分かれ、褌姿で水をかぶり身を清め、両手を上げて合掌しながら「頂礼ちょうらい頂礼ちょうらい」と連呼しながら踊ります。踊りに用いれられた下帯(褌)は、妊婦の腹帯として用いる信仰もあります。当夜は、牛王串(ごおうぐし)の御守が授与され、かす汁の振る舞いもあります。

産湯の井戸、胞衣塚(えなづか:手前) 誕生院保育園にあるモニュメント・一子地

親鸞聖人の誕生時に産湯に使われた閼伽井(あかい)の水で「産湯の井戸」と伝えます。聖人の「えな」(胞衣:胎児を包む膜と胎盤)を埋納したという胞衣塚(えなづか)もあります。

日野誕生院山門と石段 本堂 誕生院の回廊

本願寺第20代・広如宗主の文政11年(1828年)9月、宗主・親鸞聖人の誕生地である日野を顕彰して1つの堂宇が建てられたのが日野誕生院の始まりです。親鸞聖人の父・日野有範(ありのり)卿に因んで有範堂とも宝物堂とも言われた。前代の本如宗主は、宗主の顕彰に熱意を示し、学僧に当地の調査をさせたり、日野家の菩提寺・法界寺との交渉をしました。文久2年(1862年)、講持の為、京都の同行の間に日野誕生講が結ばれました。第21代宗主・明如は、明治11年(1878年)、堂宇を日野別堂と改名、大正12年(1923年)、立教開宗700年記念の慶讃法要が営まれたのを契機に堂宇の一大改宗が計画され第23代宗主・勝如の昭和3年(1928年)5月、着工され昭和6年(1931年)5月、本堂が完成し落慶法要が営まれました。この時に、日野誕生院と改名され現在に至ります。

歌碑 聖人童形の像(発心の像) 本尊・阿弥陀如来

得度にあたり「明日ありと思う心のあだざくら夜半に嵐のふかぬものかは」と詠まれた歌碑。

亡き母を慕って、土饅頭を作り仏像に見立て朝な夕なに合掌されたと伝わります。

本尊の阿弥陀如来を黒塗りの厨子に安置されています。

宗祖6歳の姿を写した幼童の御影 本尊・阿弥陀如来 親鸞聖人の父・有範卿の木造

七間ある本堂前面の中央三間は、巻戸、両脇は蔀戸としている。ご焼香と記帳そして浄財をしてしっかり合掌させて頂きました。貸切でした。父や先祖の墓参り(黄檗山・万福寺霊園)の帰りに誕生院に立ち寄り心穏やかになれ良き日となりました。

本堂山門

本堂前庭

誕生院山門

誕生院の建築様式は平安時代初期の手法により、従来の真宗寺院形態と大きく違い、本堂前庭に三方に回廊を廻らし中央に金灯籠が据えられています。

誕生院山門

後光とも言うべきか・・・時雨にあって立ち往生していたら・・・千載一遇!!!

誕生院境内

突然の時雨により寺上に虹がかかりました。

日野家廟所

誕生院の北東傍に日野家の墓所があり日野家の先祖である真夏卿、有範卿、吉光女(きっこうにょ)などの五輪塔婆が並んでいます。

畑出地蔵尊堂 畑出地蔵尊 大日地蔵尊

日野家廟所から山道を上がっていくと閑散とした場所に地蔵堂が二宇並んで建っています。地元の方しか分からない場所だと思います。一宇が畑出地蔵尊、もう一宇が大日地蔵尊です。山中にありますが、献花など手入れは綺麗にされています。

天穂日命(あまのほひのみこと)神社(石田神社)

貞観4年(862年)6月、官社にあづかり延喜の制に列せられた。一に田中神社、又は石田神社とも言います。石田の参土神で天穂日命(あまのほひのみこと)を祭神とします。天孫降臨に先立ち出雲に下向し天日隅宮の祭祀を司った。後に出雲氏の祖神と仰がれ子孫は出雲大社の祠官となった。現在の祭神は、天照大明神、大山咋神としている。

 Tourist  2004.1.5(M)

今回のコースは、「No.9・古の道(いにしえのみち)コース」の続編的チャリンコ散策コースです。初春を満喫できる親鸞聖人誕生の地、平安貴族・藤原北家所縁のある里です。今回は天候の影響で誕生院で虹と遭遇・・・千載一遇のシャッターチャンスに恵まれました。2004年の第一段から縁起の良いスタートになれたと自負しております。

 

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