稲荷大社、お山巡り・・・ご利益めぐり

 

清少納言もPちゃんも、ご利益を頂きに稲荷山詣・・神が宿る稲荷山は伏見最大のパワースポット!☆⌒(*^∇゜)v

 

楼門

千本鳥居

 

稲荷山は、山嶽信仰と同じで山領に神霊を認め中腹を中院とし山麓に拝殿を設けた完全な山嶽信仰形態をとっています。

神が宿る稲荷山は、神奈備山(かんなびやま)として伏見最大のパワースポット。お山をめぐってグリーンシャワーとパワーをもらってください!(^-^)v

今回は天気にも恵まれて久し振りにPちゃんと自転車とウォーキングで稲荷界隈、稲荷山のお山巡り(巡拝)をしてきました。

 

金運清水(大黒寺)〜常盤井水(キンシ正宗)〜稲荷大社(お山巡り)〜ぬりこべ地蔵〜茶碗子の水

金運清水(大黒寺)

常磐井水(キンシ正宗)

大釜(キンシ正宗)

平成13年(2001年)に新しく掘られた井戸で大黒天に供えら金運良好、資産増加、子孫繁栄など大変ありがたいご利益があるそうです。

説明によると明治13年(1879年)酒造りに欠かせない名水を求めて伏見に移転。酒蔵に湧き出す井戸です。深さは、105mで常に変わらず不変の水量を湛える井戸水という意味を込めて昭和49年(1974年)に常盤井水と命名されました。

キンシ正宗にあった大釜です。Pちゃんが小さく見えます。思わず石川五右衛門が釜茹処刑された事を連想しました。

楼 門

東丸神社

本殿

天正17年(1589年)豊臣秀吉の造営とされています。神社の楼門の規模としては最も大きいものに属します。

稲荷社祠官・羽倉家に生まれた荷田春満(東丸)(1669年〜1736年)を祀っています。荷田春満は、大石内蔵助らに吉良邸の屋敷図を手渡し討ち入りの手助けをしました。僧契沖に始まる近世国学を発展させて「万葉集」「古事記」「日本書紀」研究の基礎を作りました。学業向上、受験合格のご利益があります。

社殿建築としては大型に属し、装飾、特に“懸魚”の金覆輪や“垂木鼻”の飾金具、前拝に付けられた“蟇股”等の意匠に安土桃山時代へ向かう気風がみなぎり、豪放にして優華な趣が漂っています。重要文化財に指定されています。pちゃん共々2礼2拍手1礼拝、お賽銭もしてしっかりお願い事をしました。

神楽殿

お山詣でに出発

千本鳥居

巫女さん達が、お琴を弾いていました。音色に魅かれてシャッターを切りましたが、本来は撮影禁止になっているそうです。(>_<)

さぁ〜、お山巡拝に行きます。Pちゃん大丈ビ???ちょっと不安気かな?

稲荷の鳥居は社殿と同じく「稲荷塗」といわれ、朱をもって彩色するのが慣習となっています。崇敬者が祈りと感謝の念を奥社参道に鳥居の奉納をもって表そうとする信仰は、すでに江戸時代に興り今日の名所「千本鳥居」となっています。

奥社奉拝所(命婦社)

おもかる石

膝松さん(根上りの松)

本殿の東方、千本鳥居を抜けた所。通称“命婦谷”にあり、一般には「奥の院」の名で知られています。この奥社奉拝所はお山を遥拝する所で、稲荷山三ケ峰はちょうどこの社殿の背後に位置しています。

奉拝所の右奥に一対の石灯篭があります。この灯篭の前で願い事の成就可否を念じて石灯篭の宝珠(頭)を持ち上げ、その時に感じる重さが、軽ければ願い事が叶い、重ければ叶い難いとする試し石です。

枯れた松の根で左右二股になっていてこの木股をくぐると神経痛、腰痛、肩のコリなどが治ると言われ奇妙大明神とも言います。

熊鷹社(熊鷹池)

三つ辻

三徳社

お鳥居、神具店の竹屋前、熊鷹社にある池は新池、谺ケ池(こだまがいけ)との別称があります。行方知れずになった人の居場所を探す時、池に向かって手を打ち、こだまが返ってきた方向に手がかりがつかめると云う言い伝えがあります。

お産場稲荷からの道と出会い三叉路になっています。ここから約400段の石段を登りきると四つ辻に到達します。

三つの願い事が、成就するとして信仰されるようになったそうです。三つ辻〜四つ辻に向かう途中にある社です。

伏見の絶景

ちょっと失礼・・・ランチタイム〜 ヽ(゜▽、゜)ノ

四つ辻

四つ辻手前からの伏見区西南の絶景。大阪方面の高層ビルが見えました。昭和20年代迄大阪城が見えたそうです。天気の良い日は、絶景です。

四つ辻からの絶景を見ながらPちゃんのランチタイムです。しかし、よく食べます。

三つ辻から約400段石段を登りきると四つ辻に到達します。今日の様に石段も整備されていない昔、清少納言は、この辺りでダウンしたと言われています。

京都市内の絶景 o(>w<)〇゛ ふぉ〜

荒神峰(田中社神蹟)

御幸奉拝所

四つ辻からの愛宕山方面の景色です。ここから三つの峰に鎮座する上社・中社・下社に詣でるお山巡りのスタートです。所要時間約30分と書かれています。ここでのコースは、古式通りで巡ります。

権太夫大神と崇められています。この神蹟の後方にまわると景観が開けます。ここでは四辻で見えなかった京都市内中心部から以北の絶景を拝む事が、できます。

昭和38年(1963年)に開かれた場所で、この神域に当社への崇敬篤かった横山大観画伯の筆塚があり、周りには黒竹が植えられています。この尾根は、古く平安の頃より御幸辺(みゆきべ)と呼ばれ、お山参詣の重要な経路でありました。

大杉社

眼力社

眼力社

古くから大杉をご神木とし縁起によると神様が、この大杉に降臨され、悪い病気を追い払らったり、商売繁盛、豊作、大漁など大変にありがたいご利益があるそうです。

眼科信仰があり眼の病気の完治など眼科にご利益があると言われている社です。大杉社〜眼力社迄の参道沿いにカキツバタが植えられているせせらぎがあり"マムシに注意!"と書かれた立て札が何故か目に付きます。

狐の口から出ている水に人気があります。ちなみにこの水は、湧き水をパイプで通水しているそうです。

御膳谷奉拝所

清滝

薬力社

御前谷とも記され、稲荷山三ヶ峰の北背後にあたり、往古はここに神饗殿(みあえどの)と御竈殿(みかまどの)があって三ヶ峰に、神供をした所と伝えられています。

御膳谷奉拝所から北へ向かって下り坂があり、200m程下ると清滝に至ります。この裏に東西に通じる山道があります。西の方へ川(三ノ橋川)に添って下れば北谷を経て東福寺・泉涌寺へ出ます。

薬の世話にならずに健康に生活をできる事(無病息災)を祈願する社です。

おせき社

道標(おせき社)

御剱社

風邪、咳にご利益があると言われ葉書にしたためた祈願文が山積みになっています。セキは関所を意味し山頂の一の峰と山科に通じる山道の分岐点にある所から"お関稲荷"と言われたのが関を風邪、咳に附会した信仰になったそうです。

左、山科の里 大石良雄旧跡(大石神社)と記されていますが、何かの都合で左右反対に立てられ元に戻されていないようです。

この神蹟は山上古図に釼石(雷石)と記されている所です。稲荷山の三つの峰と同じように、古くからの神祭りの場であったようです。

御釼社(長者社神蹟)

釼石(御釼社)

200段の石段・・・( ノ ̄∇ ̄)ノ

謡曲「小鍛治」の舞台とされ三条小鍛冶宗近が勅命を受け御剣を打つが、その努力精進が神に通じ稲荷明神が狐の化身となって現れ、宗近の相い打ちをつとめ見事な宝剣を完成させるという話で、その時の名剣を鍛えるのに用いたのが、御身体の岩だと伝えられる。力鍛冶、刃物業者の信仰が篤い社です。この社は、狛犬で狐ではありません。一対の狛犬は、石造で文久3年(1863年)とあり山中現存の石造で最古と言われています。別名を長者社と言い加茂玉依姫(かもたまよりひめ)を祭神とします。神殿の後に大きな岩石があり、この岩(釼石)がご神体。

清少納言が、枕草子で大変に苦しい思いをしたと書いている急勾配な石段で釼石(長者社神蹟)〜一ノ峰(上之社神蹟)迄を一気に約200段の石段を登ります。

石段を登りきると鳥居のトンネル

一ノ峰(上之社神蹟)

一ノ峰(上之社神蹟)

Pちゃんも大変に苦しい思いをしたようですが、清少納言より若いので足取りは軽やか???飴をなめながらテチテチと頑張りました。

稲荷山の最高峰(標高233メートル)です。

ここを末広大神と崇める信仰があります。

一ノ峰塚(上之社神蹟)

一ノ峰(上之社神蹟)

二ノ峰(中之社神蹟)

勾玉が出土し石室は海石で石棺らしきものがあると伝わります。稲荷山には幾つかの塚がありますがここでの塚は古墳を意味しています。

親塚を建てた以前から続く信仰らしく、神蹟改修を示す親塚裏面に(明治10年6月、燈明講奉納・末広社)という刻字が見出せます。

青木大神と崇められています。

 

二ノ峰塚(中之社神蹟)

間ノ峰(荷田社神蹟)

三ノ峰(下之社神蹟)

ニ神ニ獣鏡(渡来品)1面、変形四獣鏡(国産品)1面が当時の玉垣より東へ10mの所から出土し京都国立博物館に出陳されています。

伊勢大神と崇められています。神域入り口に建つ石鳥居は、奴祢鳥居(ぬねとりい)と称し、額束の両側に合掌状の破風扠首束(さすつか)をはめた特異な形をしています。

白菊大神と崇められています。明治20年代の半ば頃、改修工事がなされたらしくここから変形神獣鏡が出土しました。

四つ辻

絶景かな!絶景かな! o(>w<)〇ふぉ〜

大慈悲娘神

無事に約45分で四つ辻に戻ってきました。

四つ辻から見る市内の景色は最高!気分爽快!!!\(●⌒∇⌒●)/

女神像が二体並び、夫々幼子を抱きかかえています。抱かれている子供像に釘付けになるほど妖艶的な像です。三つ辻からの尾根道(お産場稲荷道)にある毎日稲荷社〜間力(ダルマ)教会迄は、伏見稲荷大社に属しません。

お産場稲荷

八嶋ヶ池

大八嶋社

昔、狐がここでよくお産をしたといわれ狐は稲荷神の神使いとされお産も大変に軽く狐の安産にあやかるべく安産を願う者は、社前の燃え残りのローソクを持ち帰ると陣痛がローソクの短さで済むと言われています。

元々、山上の荒神峰(田中社神蹟)にあったものを、中世になってここへ移したと伝わります。社殿が無く大八嶋大神石碑があるだけです。

大八嶋大神石碑

ぬりこべ地蔵と子地蔵さまっ?! (≧Σ≦)ぶっ

社殿が無く大八嶋大神石碑が祀られています。

明治3年(1870)の深草村絵図には、この場所は「ヌリコベ墓」と記されており、江戸時代から信仰があったようです。由来は、歯の痛みを封じ込める意味、または土壁で塗り込まれたお堂に祀られていたので、その名になったともいわれています。

ぬりこべ地蔵

茶碗子の水

現在も歯の治癒を願って参詣者は絶えないそうです。

都のある茶人が使用人にいつものように宇治迄水を汲んでくるように頼みましたが、帰り道に、ここら辺り(石峯寺門前)で、汲んできた水をこぼしてしまいました。偶然に見つけた井戸水を 素知らぬ顔で持ち帰ります。 茶人は、点てた 茶の違いに気付き使用人を問い詰めました。使用人は、 正直に一部始終を茶人に話しました。

茶碗子の水

出ました〜くださいな〜! (^O^;  イモ屋さん

おイモソフトクリームを2つも?!。。。( ̄▽ ̄;)!!

茶人は大そうこの 水を気に入り、以後その使用人は宇治迄の 水汲みの苦労がなくなったという伝説があります。残念ながら現在は、枯れていると思われます。

あ〜又々Pちゃんの煩悩が・・・店内で女子大生達がくつろいでいました。本町通り(伏見街道)の名神高速南側の軍人湯(お風呂屋さん)の前辺り。

無茶美味かった!ポテトも美味かったです。家に持って帰ったと同時に何処かへ消えてしまいました?!狐に化かされたのでしょうか???(≧▽≦)ぷっ

Tourist  2003.9.29(M)

 

稲荷社にまつわる俗説に稲荷山麓は、藤森社鎮座地であったが、山上の稲荷社から藁置き場として借地の申し込みがあり

藤森社が承諾すると藁を1本ずつ繋いで広大な敷地を借り入れた為に藤森社は、現在地に追い出され

後入りの稲荷社本殿の位置が、決まったという話があります。藤森社の神輿が、稲荷社境内に入り"藤森の土地返せ!"と

大声で連呼したそうです。稲荷社門前でありながら稲荷祭を行わない奇習は今も続いています。

 

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