竹の下道散策

 

むば玉の くらき闇路に 迷ふなり われにかさなむ 三つのともしび 後醍醐天皇

 

藤森神社〜稲荷山・膝松さん(根上りの松)〜命婦社(みょうぶしゃ:奥の院奉拝所)〜ぬりこべ地蔵尊〜茶碗子の水

 

竹の下道

鳥居

 

高瀬川と酒蔵

高瀬川と疎水放水路合流地点

高瀬川(左)と疎水放水路合流地点

市電が走っていた橋(疎水放水路:竹田街道北行)

住吉児童公園(第4尋常小学校跡地)

藤森神社

神社の創建は平安遷都以前に遡り、神功皇后が三韓征伐より凱旋後、この地に纛旗(とうき)と兵器を埋納した事が起こりと伝わります。早良(さわら)親王は天応元年(781年)、蒙古追討にあたり当社に詣で戦勝祈願されたと伝わり、係る伝承などから祭神は神功皇后を初め、武内宿禰(すくね)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、別雷(わけいかづち)神、日本武尊(やまとたけるのみこと)、応神天皇、仁徳天皇、天武天皇、舎人親王、井上内親王、早良(さわら)親王、伊予親王と12柱に及ぶ神々を奉祀しています。祭神の中には怨霊と恐れられた井上内親王、早良親王、伊予親王などの名もあり駈馬、相撲、騎射、猿楽などは御霊会において怨霊を鎮める行事だと伝わります。藤森神社としての社名は室町時代以後で、「真幡寸神社」、「藤尾社」、「塚本社」など諸社を合祀して藤森神社とされました。

藤森神社

神馬像と桜

紫藤ノ碑

石川五右衛門ゆかりの水鉢台石(手水舎)

手水舎の水鉢の台石は宇治浮島にある十三重塔の上から五番目の石を石川五右衛門が盗みここへ持ち運んだと伝わり現在も十三重塔を見るとその部分だけ色が違っています。

本殿

手水舎 水鉢と五右衛門が盗んだと伝える台石

かえし石

「かえし石」は別に「力石」とも呼ばれ、大・中・小の三つの餅型の石が積まれています。江戸時代より藤森祭の京都所司代巡検時に当社の神人が拝殿より鳥居迄この石を転がす行事があったとか祭りに集まった力自慢が力試しに石を抱き上げたとも伝わります。

かえし石

矢島大神(矢島滝)

矢島大神(矢島滝)

呼声大神(命婦滝)

呼声大神(命婦滝)

弘法の滝

竹林道

青木ヶ滝

青木ヶ滝

山道からの桃山城

迷ってしまい道案内して頂いたお山巡回の方

再び、弘法の滝に戻ってきました。

弘法の滝〜奥の院への参道

竹の下道

竹の下道とは、今の伏見街道(直違橋通り)より東側の稲荷山麓を経て深草に通じるといわれる所以から多分、大和街道であると思われます。 <深草や竹の下道わけすぎて伏見にかかる雪の明けぼの・・・(続千載) 前関白太政大臣>

竹の下道

神宝社(かぐや姫愛染裨)

本殿

狛犬?狐ならぬ地竜と天竜(右)

膝松さん(根上りの松)

枯れた松の根で左右2股になっていてこの木股をくぐると神経痛、腰痛、肩のコリなどが治ると言われ奇妙大明神とも言います。

シャガの花

稲荷参道と合流(奥の院の上辺り)

今下りて来た神宝社〜弘法の滝への道

命婦社(みょうぶしゃ:奥の院奉拝所)

俗に奥の院と称されお山への上り口にあります。参道は左右二本あってその両側には鳥居が林立し、あたかもトンネルの有様で「千本鳥居」と称され稲荷大社の名勝となっています。

膝松さん(根上りの松)

稲荷参道から奥の院奉拝所を見る

奥の院奉拝所

おもかる石

灯篭の前で願い事の成就可否を念じて石灯篭の空輪(頭)を持ち上げ、そのときに感じる重さが、自分が予想していたよりも軽ければ願い事が叶い、重ければ叶い難いとする試し石です。

奥の院奉拝所

稲荷参道の鳥居(三つ辻方面)

おもかる石

ぬば玉の歌碑

明治26年(1893年)に建立され、後醍醐天皇の御製になる「むば玉の くらき闇路に 迷ふなり われにかさなむ 三つのともしび」という歌が記されています。後醍醐天皇が延元元年(1336年)12月12日深夜、大江影繁(かげしげ)の手引きで吉野へ落ち逃れる時に当社前で詠まれた歌と伝わります。

大神石

ぬば玉の歌碑

千本鳥居

三つ辻への参道

奥の院からこの参道におります。

厄除け社

天社大神

奥の院を見ています。

清メ滝社

シャガの花

ぬりこべ地蔵尊の北東側の道に出ます。

大神(今来た道を厄除け社前の三叉路まで引き返して奥の院への道と反対の東に進みました。)

大神

滝神

矢島大神(矢島滝)へ行く道に戻りました。

ぬりこべ地蔵尊

明治3年(1870)の深草村絵図には、この場所は「ヌリコベ墓」と記されており、江戸時代から信仰があったようです。由来は、歯の痛みを封じ込める意味、または土壁で塗り込まれたお堂に祀られていたので、その名になったともいわれています。現在も歯の治癒を願って参詣者は絶えないそうです。

呼声大神(命婦滝)

ぬりこべ地蔵尊

茶碗子の水

都のある茶人が使用人にいつものように宇治迄水を汲んでくるように頼みましたが、帰り道に、ここら辺り(石峯寺門前)で、汲んできた水をこぼしてしまいました。代わりにここの水を汲み持ち帰ったが、茶人に見破られました。下男は、恐縮し一部始終を茶人に話しました。茶人は、宇治川の水より勝ると褒め称えその後茶の湯は、ここの水を用いる事となり下男は、宇治迄使いする労が、省けたそうです・・・この地は、石峰寺の二代目住職・石門が、法蔵庵を建てて隠居所としましたが、明治初期に廃寺となり井戸のみが、残りました。一説にそれより古くこの付近にあった歓喜心院の井戸水とも伝えます。

石峰寺参道

茶碗子の水井

疎水と名残桜花

地蔵尊

撞木町遊郭跡

インクライン跡(墨染発電所)

Tourist  2004.4.19(M)

 

前回アクシデントで周れなかった稲荷大社のお滝行場コースを周る散策に再度チャレンジ・・・今回は、アクシデントは無かったのですが・・・雨が強くなってしまいズブ濡れに・・・写真撮影もデジカメが濡れていて今一です。自転車&ウォーキングで嵯峨野界隈にも負けず劣らずの竹の下道、お滝行場などの続編的散策コラムですが、魅力的な界隈です。

 

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