徒然なるままに・・・夜歩き散策
★ 徒然なるままに・・・夜歩き散策は、アップする気ままなコラム・・・
火星(花鳥)風月
2003年9月11日の十五夜の名月は、月と火星の大接近(9月9日)という感動と共に楽しめました。
中秋の十五夜の名月と火星の大接近は、約6万年に一度とも言われています。
当然、二度と見れない600世紀に1度の宇宙ファンタジーを楽しんで下さい・・・
火星(花鳥)風月・・・6万年に一度?!の中秋の名月と火星のランデブー |
||
であい橋から | 名月と火星 | 見事な名月 |
宇治川派流と濠川の合流地点。 |
月の左下スグにある星が、火星です。 |
雲も少なくスッキリと見えました。 |
2003.9.9 PM7:50頃、撮影 |
||
十五夜の名月・・・竹取物語を思い出しませんか??? |
||
伏見港から |
伏見港のみなと橋から |
十五夜の名月と三栖閘門 |
伏見港の水面にも反映しまさにおぼろ月に値します。 |
Pちゃん(かぐや姫?)、伏見港から30石船で月へ・・・ |
十五夜の名月に照らされた三栖閘門が、幻想的です。 |
向島、槇島ニュータウンと名月 | 大手筋の不夜城?と名月 | 十五夜の名月 |
三栖閘門から見る巨椋池跡方面の夜景も美しくまさに指月そのもの。 |
大手筋界隈のビルとソーラードームと名月。 |
雲の多い夜でしたが、日頃の行いの良さ?!雲の切れ間から十五夜の名月! |
2003.9.11 PM7:50頃、撮影 |
管理人・SyoとPちゃんの"大手筋〜大手橋〜濠川〜出会い橋〜宇治川派流〜伏見港〜三栖閘門"の散歩コース(夜)を紹介します。
三栖神社 | |||
金井戸神社 | 三栖神社 | ||
肥後橋の東南、宇治川派流〔濠川〕の畔にあり天武・応神両帝、伊弉諾〔いざなぎ〕命を祀る旧村社で通称、三栖神社とよんでいます。元は、横大路下三栖の三栖神社の御旅所として付近の新中町にありましたが、氏子区域の発展により分離、地名にちなんで金井戸神社と改められた。 |
横大路下三栖の産土神で天武天皇を祀るところから天武天皇社、単に三栖ノ宮ともいいます。毎年10月に行われる祭礼では、世に炬火〔たいまつ〕祭りともいい、直径1m以上もある大炬火1対を作り担ぎ回る慣わしが、あります。 |
||
三栖神社「炬火祭」(きょかさい) |
|||
大海人皇子(天武天皇)が、天智天皇の子・大友皇子と戦った壬申(じんしん)の乱で、大海人皇子軍が三栖を通過した時、村人がかがり火を焚いて歓迎した。という説、天武天皇が大津京への行幸にあたり立ち寄られた際、暗夜を村人がかがり火を焚いて照らした。などの伝説に由来しています。地元文書に,遅くとも元禄13年(1700年)には行われていたと記されています。戦後一時途絶えていましたが,平成元年(1988年)に再興され、毎年実施されています。 | |||
Pちゃんと夜の宇治川派流(大手筋〜三栖閘門)・・・金井戸(三栖)神社 | |||
伏見柳谷観世音菩薩 | 大手橋 | ||
長岡京市の柳谷観世音菩薩は立願(りゅうがん)山楊谷寺と号し西山浄土光明寺に属します。昔、山中から清泉が湧き出し眼病の治療に応験があり井水の傍らに観音像を安置したのが始まりで平安末期の承保年間(1064〜76年)、水観(水願)上人の開祖です。伏見柳谷観世音菩薩は西大手筋の浄土宗・願生寺の東隣に建立されています。 | 大手筋通りを西に行くと濠川に架かる橋でそこから階段で川沿いの遊歩道に下ります。大手橋から阿波橋に向かいます。遊歩道脇に有志の方?が趣味で花木を綺麗に栽培されています。 | ||
阿波橋 | 阿波橋 | 出会い橋 | |
阿波橋です。油掛通りに架かる橋です。Pちゃんも快調に歩いていますが、懐中電灯が、ないと犬のウ○チが、放置されていたり・・・残念ながら夜は安心して歩けません。人間のモラルの問題ですね。 | 濠川と宇治川派流の分水路にY字型に架かる珍しい三叉路の橋です。出会い橋という名前の橋ですが、見方によれば別れ橋では? | ||
出会い橋 |
肥後橋 | 天武天皇石碑 | |
Pちゃん、出会い橋から晩秋のおぼろ月を眺めながら物思いにふける?しかし、いつも手に何か?の袋を持っています。Pちゃんのガソリン? |
ようやく、肥後橋に近付いてきました。 | 金井戸神社の祭神である天武天皇の石碑で当社入り口に立っています。 | |
鳥居 |
狛犬 |
狛犬 |
|
昭和10年(1935年)に建立された木製の鳥居の老朽化で平成14年(2002年)9月に石製の鳥居に建替えなれました。 | 物事の初めと終わりを意味すると言われる阿吽(あうん)。口を開けた右の狛犬の「阿(あ)」、口を閉じた左の狛犬の「吽(うん)」、木製の鳥居と共に木製の狛犬として神社の守り神として鎮座していましたが紛失?し平成14年(2002年)9月に石製の鳥居と共に狛犬も新たに鎮座しています。しかし、紛失?した木製の狛犬とは、珍しいのでは? | ||
境内 |
本殿 |
||
天武・応神両帝、伊弉諾〔いざなぎ〕命を祀る旧村社で通称、三栖神社とよんでいます。昔は、当社付近は、過書船の溜まり場であったから船具を扱う業者が、多く近くの東浜南町を船大工町と云った。 | |||
神輿蔵 |
住吉社 |
角倉稲荷大明神 |
|
10月の祭礼時に氏子地域を巡行する神輿や獅子などが保管されています。大炬火(たいまつ)に使用する葦などは、別の保管場所です。 | 住吉大神は禊祓(みそぎはらい)の神格である事から禊祓 の神と言われています。奈良時代、遣唐使の発遣には、必ず朝廷より住吉大社に奉幣 があり、その水上無事を祈ったと伝えます。当社界隈には伏見港もあり水運の無事を願う為に祀られました。 |
伏見稲荷の祭神を、稲荷勧請によって、三栖神社の稲荷の社祠に分祀し角倉了以に因んで角倉稲荷大明神と称すると思われます。 |
|
伏見港と三栖閘門 |
|||
伏見港とみなと橋 |
伏見港、三栖閘門と三十石船 |
||
伏見港 |
三栖閘門(みすこうもん) |
||
伏見港は豊臣秀吉の伏見城築城に際し開港され、江戸時代には、三十石船、二十石船、十五石船、高瀬船など2千隻もの船舶が往来し港町として賑わいました。これらの船は幕府公認の通航証を持った過書船(かしょぶね)と言います。慶長16年(1611年)角倉了以が、二条木屋町から東九条で鴨川と合流する高瀬川運河を開削し、更に水路を南浜迄延ばしました。伏見港は水上交通の要となり大小の船が集中するようになり発展しました。京橋付近が伏見港の中心地で参勤交代の西国大名の本陣や脇本陣が置かれ、宿場町としても多くの旅人で賑わいました。 | 大正11年(1922年)、宇治川右岸の観月橋〜三栖迄の堤防工事が始まり、宇治川と伏見港が分離されました。昭和4年(1929年)、三栖閘門が建設され、宇治川と宇治川派流との約4.5mの水位差を一定にして船を行き来出来るようにしました。完成当初、蒸気旅客船や石炭の輸送船など年間2万隻以上が通航していましたが、昭和30年代に入り、陸上運輸の発達で貨物船による輸送が減少し、昭和37年(1962年)、遂に淀川の船運はなくなり、昭和39年(1964年)、宇治川上流に天ヶ瀬ダムが完成し閘門はその役目を終えました。 |
||
角倉了以水利紀功碑 |
伏見港と銀河鉄道? |
みなと橋と灯台型?時計台 |
|
旧高瀬川と宇治川派流(濠川)分水路地点(出会い橋の西畔)に立っています。高瀬川を開鑿した角倉了以の功績を顕彰する為、高瀬舟運輸業者ら有志が建立。主碑の向って右横(北側)に発起人や寄附者名を記した副碑が立っています。碑文は元京都府知事・内海忠勝の撰と記されていますが、湯本文彦の代作と言われています。 | 伏見港手前の宇治川派流の京阪電車鉄橋を特急電車が通過しています。川面にも反映していて幻想的な雰囲気です。 | 伏見港内に架かるみなと橋西側の階段傍にあります。昔の灯台をイメージしていると思われる時計台で午後8時過ぎを指しています。 | |
伏見港公園の遊歩道 |
三栖閘門資料館 |
||
出会い橋〜三栖閘門へと続いています。 |
往時の三栖閘門の模型や作業場など再現している資料館です。 |
||
三栖閘門と火星 |
閘門巻き上げ動力機 |
||
閘門の左塔頭部にある白点 |
実際に稼動していた三栖閘門巻き上げ動力機のモニュメント |
||
出会い橋に関所? |
|||
出会い橋北畔の関所? |
お代官様?(≧▽≦)ぷっ |
出会い橋北畔 |
|
濠川と宇治川派流の分水地点にある出会い橋の北畔の遊歩道が工事中で通行止めになっています・・・ |
|||
・・・ |
出会い橋南畔 |
ルミナリエ? |
|
土が盛り上げられていますが、無事に関所破りでき通り抜けられました・・・ |
酒蔵群で一際輝いていました。 |
||
ルミナリエ? |
稲荷祠 |
||
カッパカントリーのクリスマスモニュメントです。オープンカフェ風です。 |
大手筋界隈にも稲荷大神があります。 |
||
2003.11.26(Wed) |
|||
濠川、新高瀬川と酒蔵・・・ |
|||
濠川・大手橋と酒蔵(右の黒影) |
高瀬川・新大手橋 |
||
濠川は、元伏見城の外堀で琵琶湖疎水と繋がれ伏見港〜宇治川に合流します。 |
高瀬川に架かる大手筋通りの橋です。 |
||
高瀬川 |
|||
高瀬川堤防東側にある堤道で、星や夜景が綺麗に見えるお気に入りのスポットです。伏見百景などで有名な酒蔵があります。 |
|||
高瀬川と酒蔵 |
高瀬川南側方面(下流) |
高瀬川北側方面(上流) |
|
この高瀬川を新高瀬川と言います。新高瀬川のスグ東側に角倉了以が、開削した旧高瀬川が、並行して流れています。遠くに京都タワーと京都ステーションビルの灯が見えます。(右端の写真) |
|||
2003.11.27(Thu) |
|||
クリスマスイリュミネーション |
|||
毎年、ある民家の方が、建物の壁面に電飾のクリスマスツリーを綺麗に装飾され行き交う人達を楽しませてくれます。 |
|||
杉玉(三宝酒造) |
角倉橋 |
寺田屋浜 |
|
新酒を知らせる杉の玉。 |
角倉了以が開削した高瀬川に架かります。 |
宇治川派流にある三十石船の乗船場。 |
|
寺田屋浜 |
蓬莱橋(中書島) |
寺田屋 |
|
寺田屋の前にある乗船場です。 |
宇治川派流に掛かる橋です。 |
坂本竜馬の定宿でした。 |
|
子安観世音菩薩 |
格子調の壁 |
クリスマスイリュミネーション |
|
五輪塔や観音像があります。 |
目を引く粋な格子調の壁です。 |
ビジネスホテルの入り口にあります。 |
|
2003.12.03(Wed) |
|||
Merry Christmas!(中書島〜カッパカントリー) |
|||
|
|||
|
|||
2003.12.25(Thu) |
|||
大晦日・除夜の鐘 慈眼山・妙福寺(風呂屋町) |
|||
山門(鐘楼門) | |||
昭和52年に新しく建立されました。総丸物鉄骨造りで上階は鐘楼になっています。 | |||
鐘 <宝歴4年(1760年)の作です。> |
Pちゃんも一年の計?・・・除夜の鐘を撞いて煩悩を洗い流しました? |
||
12月31日午後11時〜鐘楼(山門の上)にて 除夜の鐘が撞かれ毎年、200名以上の参拝があり 鐘も108ではなく 参詣者の数だけ撞きます。 | |||
2003.12.31(Wed) |
徒然なるままに・・・
2003年9月9日、月と火星の大接近からスタートしたコラム「徒然なるままに・・・夜歩き散策」ですが、夜の伏見も普段とは違った
ロマンチックな伏見の町並みなどを楽しませてくれます。2004年も徒然なるままに紹介して行きますので徒然なるままに楽しんで下さい。
2004年も「伏水物語」をどうぞ宜しくお願い致しますと共に皆様の良き年になります事を願っております。