うずらの里
竹の葉山、稲荷山散策
Pちゃんとお滝行場&紅葉散策・・・稲荷山界隈マップ(伏見稲荷参道図) |
★ 赤線が、今回のうずらの里〜お滝行場、お山巡りした"竹の葉山、稲荷山"散策コース |
深草山〜稲荷山界隈は、古の時代から「うずらの里」、「竹の葉山」と称されていました・・・ 途中から雨となりました( ;∀;)・・・深草〜稲荷界隈を竹取物語ならぬ、雨月物語?でお山散策してきました。 今回のお滝巡りは、お滝が修行場なので、霊験崇かで冷気もあり大変に身が引き締まる思いを体験できました。
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瑞光寺(元政庵) |
竹の下道 |
萱葺屋根の本堂と門は深草一の風情です。 |
嵯峨野の竹林にも勝るとも劣らない風情です。 |
風呂屋町〜瑞光寺(元政庵)〜深草北陵(深草十二帝陵)〜お滝場めぐり〜稲荷山めぐり |
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納屋町商店街 |
竜馬通り商店街 |
明治天皇小休所福井与左衛門宅址 |
昔は、伏見の錦市場といわれ伏見の台所的な商店街です。平成8年(1996年)、アーケードを新しくしたと共にパッサージュ・なやまち5番街と改名しました。 |
平成6年(1994年)、南納屋町商店会から竜馬通り商店街と改名。寺田屋に近く坂本竜馬をキャラとし毎年11月15日の龍馬誕生日辺りに龍馬祭を開催するなど、色々な企画で頑張っています。 |
明治5年(1872年)5月23日、明治天皇は伊勢、大阪を行幸時に伏見宿の旧本陣・福井与左衛門宅で休憩されました。 |
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御大典記念埋立工事竣工記念碑 |
中書島繁栄会 |
京阪中書島駅 |
今富橋が現在の竹田街道の京橋〜中書島のちょうど中間地点にありましたが、この水路が埋め立てられられました。当時の宇治川の流れは年毎に変化が激しく蓬莱橋の畔は広い空閑地がでたので夏の夜に納涼相撲なども催されました。昭和3年(1928年)〜5年の年月をかけて柳町一帯の埋立護岸工事が23万2295円の工費をかけて行われ現在の町を形成しています。 |
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稲荷山 |
茶碗子の水 |
宝塔寺 |
京阪深草駅舎からの眺めです。「稲荷山十二景図誌」で「三峯翠黛:さんぽうすいたい」といわれ、本来は、楼門北側から東向きに稲荷山を見た時の山景色をいいます。 |
都のある茶人が使用人の失敗により大変気に入った水に出会えました。それ以降、茶の湯に使用した井戸水で石峰寺門前近くにありますが、現在は、使用されていません。この下方に農家の野菜置き場か洗い場があると思われます。 |
徳治2年(1307年)日蓮の法孫日像は、京都で布教中に洛外へ追放されました。その時、真言寺(向日市)において、時の極楽寺住職・良桂と三日三晩の宗論を行い、良桂が屈服し極楽寺を法華道場に改めました。そして日像を開山とし、自らは二世となりました。 |
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宝塔寺 |
平成の雀のお宿?! |
元政上人(げんせいしょうにん)旧跡 |
日像は妙顕寺(京都)で康永元年(1342年)没しました。遺言により当地で荼毘(火葬)にふされ日蓮、日朗の遺骨も納められました。故に西身延、巽の霊山とも言われています。 |
宝塔寺〜瑞光寺(元政庵)へ行く途中・・・とある民家の庭木に多数の雀が集まっていました。「雀のお宿」を彷彿させてくれます。 |
この石標は元政の旧跡瑞光寺を示すものである。元政(1623〜68年)は、彦根藩士であったが出家、詩人として有名になりました。 |
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瑞光寺(元政庵) |
帝釈天・白瀧弁財天 |
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明暦元年(1655年)、草庵(竹葉庵)を建て父母と共に住し深草山瑞光寺と号した。その墓は境内西隅にあり、遺命により塔を建てず封土の上に元政が好んだ竹を三本(一本は法華経の為、一本は両親の為、一本は人々の苦悩を救う為と伝えます。)立てただけの簡素なものである。毎年3月18日に元政忌が行われ遺品が公開されます。 |
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帝釈天・白瀧弁財天 |
開運帝釈天・白瀧弁才天 |
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竹薮を背にした萱葺屋根の本堂と門は深草一風情があると言われています。ここは元、極楽寺薬師堂の跡と伝え明暦年間、元政上人が草庵を結びました。 |
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瑞光寺(元政庵)境内 |
瑞光寺(元政庵)本堂 |
深草北陵(深草十二帝陵) |
元政上人は戒律と孝道に努められた人で、その孝心は古人の句にも「元政の 母のあんまや きりぎりす」と詠まれる程に有名でした。水戸光圀が元政の親孝行と清楚な人柄を知って、「嗚呼孝子元政之墓」という墓碑を建てる事を申し出ましたが、時の住職は遺志を尊重して辞退したと伝えられています。 |
深草十二帝陵とも言われ陵内に後深草、伏見、後伏見、後光厳、後円融、後小松、称光、後土御門、後柏原、後奈良、正親町(おほぎまち)、後陽成の十二帝、栄仁(よしひと)親王の遺骨を泰安しています。 |
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深草北陵(深草十二帝陵) |
うずらの里 |
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鎌倉〜桃山時代にかけての天皇で多くの天皇が、1ヶ所に奉葬されたところに当時の皇室の衰退を物語っています。 |
平安時代、深草、藤森界隈は草が大変に茂っていて雀、うずら、ヒバリなどの鳥が沢山いて、この界隈を「うずらの里(枕詞)」と言いました。この界隈の深草鞍ヶ谷町、浄蓮華院境内の谷口古墳(6世紀後半)や深草鞍ヶ谷町、山伏塚古墳(6世紀後半)が桓武天皇柏原陵だったという説もあります。 |
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うずらの里 |
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「夕されば 野辺の秋風 身にしみて 鶉鳴くなり 深草の里」(千載和歌集・藤原俊成)、「秋をへて あはれも露も 深草の 里とふ物は うづらなりけり」(新古今集より)、「深草や 竹の葉山の 夕霧に 人こそ見えね 鶉鳴くなり」(続古今集・藤原家隆)など多くの和歌で歌われています。王朝歌人始め在原業平もしばしば、この地に住むほど鶉や月の名所として嵯峨にも劣らなかったと伝えます・・・前方に稲荷山を見ながら歩きます。 |
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竹の葉山と竹の下道 |
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竹の葉山とは、和歌の枕詞で深草山を意味します。竹の葉山の畔を通る道でこの道も幾多の和歌の題材になりました。因みに竹の下道とは、今の伏見街道(直違橋通り)より東側の稲荷山麓を経て深草に通じるといわれる所以から多分、大和街道であると思われます。「深草や 竹の下道 わけすぎて 伏見にかかる 雪の明けぼの」(続千載・前関白太政大臣) |
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竹の葉山と竹の下道と合流 |
七面の滝 |
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本来は、宝塔寺、立命館高・中学方面からの道(右の道)を竹の下道というそうですが、なかなかどうして今回歩いた道もまさしく竹の下道と呼ぶに相応しい竹林道です。 |
七面の滝は山道より少し入り込みます。崖崩れ多しとの事で「立ち入り禁止!」のロープも乗り越え、気をつけながら滝に下りました。人の出入りした気配を感じませんでした。何とも幽想的な滝社です。 |
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御剱大神 |
御剱の滝 |
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白菊大神 |
白菊の滝 |
末広大神 |
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末広の滝 |
岩龍大神と岩龍滝(右上) |
大岩大神 |
大岩大神・・・かなりの急勾配な石段を登ります。道も細くなり心細くなる場所に鎮座されています。手前に小岩大神があります。 |
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大岩大神 |
竹の葉山〜大岩大神〜稲荷山社参道 |
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当社の前を通り抜けて裏からの山道を不安いっぱいで稲荷山巡りの参道(一ノ峰:上之社神蹟)を目指しました。 |
稲荷山の方角を確認しながら山道を歩きました。雨がまだ降らなかったので何よりですが、山中は暗いです。 |
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竹の葉山〜大岩大神〜稲荷山社参道 |
大岩大神〜の間道と稲荷山参道(一ノ峰:上之社神蹟)と合流 |
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昔の稲荷山巡りもこんな道だったのでは?と思いながらPちゃん共々、間道的な山道を稲荷山参道を目指し頑張りました。標識などあると分かりやすいと思います。 |
此処まで来るのに不安いっぱいで歩き続けました。間道で分かれ道などあり勘で道を選びながら歩きましたので、しんどいというより・・・ホッ。「稲荷山十二景図誌」でこの辺りを「三角名月」(みつかどめいげつ)といい、山科へ下る地点で昔は、名月の山科盆地を美しく眺められたとか・・・ |
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200段の石段(右、春繁社前) |
奉灯(常夜灯) |
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清少納言が、枕草子で大変に苦しい思いをしたと書いている急勾配な石段です。この辺りを「稲荷山十二景図誌」で「阪道驟雨」(さかみちしゅうう)といい、雨の日、にわか雨が激しく降ってくる様に上から雨水が流れてくる事だと思います。釼石(長者社神蹟)〜春繁社〜一ノ峰(上之社神蹟)迄を一気に約200段の石段を登りますが、今回は、逆に一気に下ります。 |
まだ、午後2時30分頃というのに参道は暗く奉納灯に灯が入っています。 |
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釼石(長者社神蹟) |
鳥居 |
おせき社 |
この神蹟は山上古図に釼石(雷石)と記されている処です。稲荷山の三つの峰と同じように、古くからの神祭りの場であったようです。「稲荷山十二景図誌」で「釼巖蒼苔」(けんがんそうたい)といい、稲荷山参道で最も大きな岩があり昔、雷を封じ込めたという伝説があります。 |
稲荷の鳥居は社殿と同じく「稲荷塗」といわれ、朱をもって彩色するのが慣習となっています。 |
風邪、咳にご利益があると言われ葉書にしたためた祈願文が山積みになっています。セキは関所を意味し山頂の一の峰と山科に通じる山道の分岐点にある所から"お関稲荷"と言われたのが関を風邪、咳に附会した信仰になったそうです。 |
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薬力の滝(薬力社) |
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ここの滝は、稲荷山で一番奥の行場でここからの流は、清明滝の下流で御膳谷からの流と合流し清滝となり白滝からの流を合流し御壺滝、五社滝となり最後に東福寺通天橋の下を流れる三の橋川となります。 |
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薬力社 |
薬力たまご・・・マイウ〜!(;^o^A |
傘杉社 |
薬の世話にならずに健康に生活をできる事(無病息災)を祈願する社です。 |
多数の俳優名が書かれた暖簾を掛けた薬力亭で売っている名物たまご。薬力の滝水で茹でられた、たまごです。女将さんが親切な方で色々と教えて頂ました。 |
傘杉社で多数の信者さんが、集まりお火焚き祭を執り行われていました。 |
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傘杉社 |
清明舎 |
天竜橋 |
当社は受験生の参拝が多いとの事です。 |
傘杉社、清明舎から清滝社へ下っていく山道で、鳥居の色と紅葉が絶妙でした。 |
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清滝大神 |
清滝 |
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かなり奥地にあります。雨も激しく降ってきました。 |
御膳谷奉拝所から北へ向かって下り坂があり、200m程下ると清滝に至ります。滝の前の白い煙のようなものは、自分とPちゃんの吐息と熱気です。かなり冷え込んできました。 |
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清滝 |
天竜橋 |
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この裏に東西に通じる山道があります。西の方へ川(三ノ橋川)に添って下れば北谷を経て東福寺・泉涌寺へ出ます。東に行けば山科の里、大石良雄旧跡(大石神社)に出ます。 |
滝とせせらぎと紅葉も楽しめました。 |
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鳥居と紅葉 |
御膳谷奉拝所 |
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清滝〜御膳谷奉拝所へ戻る参道です。 |
御前谷とも記され、稲荷山三ヶ峰の北背後にあたり、往古はここに神饗殿(みあえどの)と御竈殿(みかまどの)があって三ヶ峰に、神供をした所と伝えます。 |
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奥村大神 |
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「稲荷山十二景図誌」でこの辺りを「杉間青楓」(さんかんせいふう)といい、御膳谷の林間を歩いて杉と楓の新緑が美しい所です。狛犬ならぬ狛馬?!石像ではないと思われますが、狐像でなく珍しい馬像です。 |
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眼力社 |
鳥居と紅葉 |
奉納伊勢菖蒲 |
眼科信仰があり眼の病気の完治など眼科にご利益があると言われている社です。狐の口から出ている水に人気があります。ちなみにこの水は、湧き水をパイプで通水しています。 |
「稲荷塗」の鳥居の合間から見え隠れする紅葉との絶妙な色合いバランスが美しい。 |
大杉社〜眼力社迄の参道沿いのせせらぎに伊勢菖蒲が植えられている場所があり「マムシに注意!」と書かれた札が何故か目に付きます。 |
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大杉社 |
四ツ辻 |
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古くから大杉をご神木とし縁起によると神様が、この大杉に降臨され、悪い病気を追い払らったり、商売繁盛、豊作、大漁など大変にありがたいご利益がある。 |
本来は、四ツ辻から三つの峰に鎮座する上社・中社・下社に詣でるお山巡りのスタート地点です。所要時間約30分と書かれています。今回は、一ノ峰(上之社神蹟)と春繁社の間に合流する間道からお山巡りコースに進入し古式通りの巡り方と逆で巡りました。 |
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四ツ辻 |
にしむら亭(四ツ辻) |
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せっかくの絶景スポットですが、雨の為に霞んでいます・・・残念です。(>_<) |
Pちゃん、やっぱりね?!(爆)雨も本降りの中、お店の方達も親切でした。疲れを癒すには最適です。因みに、この店のご子息は俳優のN.Kさんです。 |
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にしむら亭(四ツ辻) |
荒神峰(田中社神蹟) |
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天気が、良ければ市内の絶景を見ながら・・・残念でした。 |
権太夫大神と崇められています。この神蹟の後方にまわると景観が開けます。ここでは四ツ辻で見えなかった京都市内中心部〜以北の絶景を拝む事が、できます。 |
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「狐巒返景」(こらんへいけい) |
御幸奉拝所 |
東山トレイル |
「稲荷山十二景図誌」でこの辺りを「狐巒返景」(こらんへいけい)といい、荒神峰(田中社神蹟)より西山方面を眺めた絶景を意味します。 |
昭和38年(1963年)に開かれた場所で、この神域に当社への崇敬篤かった横山大観画伯の筆塚があり、周りには黒竹が植えられています。この尾根は、古く平安の頃より御幸辺(みゆきべ)と呼ばれ、お山参詣の重要な経路でありました。 |
四ツ辻〜東山、東福寺へ抜ける道です。「稲荷山十二景図誌」でこの辺りを「童山白雪」(どうさんはくせつ)といい、冬の積雪の日に御幸奉拝所から見た西山、京都市内の雪景色が最高に美しいといわれます。 |
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東山トレイル |
四ツ辻 |
稲荷名物 |
この道を東福寺に抜ける予定てしたが、午後4時を過ぎたのと雨が強くなり暗くなってきました・・・残念ですが、この辺りから四ツ辻へ引き返しました。 |
ようやく、戻って来ました。夜陰もせまり冷雨に霞む伏見〜西山の景色。 |
稲荷名物・・・すずめ、ウズラの姿焼き。傍に生前の雀さんが・・・姿焼きを別名、「ピン焼き」とも言います。 |
Tourist 2003.11.24(M) |
今回の稲荷山への散策は、深草北陵辺りから白菊ノ滝(白菊大神)、御剱ノ瀧(御剱大神)、末廣ノ滝(末廣大神)、 大岩大神などから一ノ峰(上之社神蹟)東手前から前回の稲荷山巡りと逆(時計反対周り)に周り東福寺迄の予定でした。 竹の下道〜お滝行場の山道で、出会った人は僅かに3人でした。又、宝塔寺や立命館高・中学方面からも途中、 弘法ケ瀧(弘法大神)、青木ケ瀧(青木大神)、白菊ノ滝(白菊大神)〜も今回のコースへ合流できます。 |